アルゼンチン史上最悪の殺人鬼として知られているカルロス・エドゥアルド・ロブレド・プッチについて調べてみました。
カルロス・プッチのエピソードや現在はどこで何をしているのかなどについてまとめて行きます。
カルロス・プッチとはどんな人物?
本名:カルロス・エドゥアルド・ロブレド・プッチ
生年月日:1952年1月19日
年齢:67歳(2019年8月時点)
出身:アルゼンチン ブエノスアイレス
カルロス・プッチはアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれて、労働者階級の家庭で育ちました。幼少期は内気な性格の少年だったようです。
カルロス・プッチの起こした事件やエピソードは?
カルロス・プッチが起こした事件やエピソードを時系列順にまとめて行きます。
1971年3月15日
プッチは共犯者と共に、強盗に押し入り、ルビーや貴金属、現金等総額35万アルゼンチンペソ (約240万円) を奪った。そして逃走する前に眠っていた所有者を銃で撃って射殺した。
1971年5月9日
プッチは共犯者とメルセデス・ベンツの自動車部品を扱う会社で働くビセンテ・ロペスの家に侵入する。プッチは銃を発砲し、ビセンテはこの銃撃で死亡した。ビセンテの妻も撃たれるが一命を取り留め、子供も無事であった。プッチは40万アルゼンチンペソ (約270万円) 相当を強奪し、逃走する。
1971年5月24日
プッチはスーパーの警備員を殺害する。
1971年6月中旬
プッチは2人の若い女性を襲撃する。プッチは1人の女性を強姦するが、もう1人は逃げ延びている。
1971年8月5日
プッチがアイバニーズを乗せて運転していた車が事故を起こした。プッチは無傷であったが、アイバニーズは死亡してしまう。事故後、プッチは逃走し、アイバニーズは事故死として処理されるが、実際はプッチはアイバニーズを恨んでおり、事故に見せかけて殺害したに過ぎなかった。その後、プッチはヘクター・ソモサという新しい共犯者と共に再び犯罪を開始する。
1971年11月15日
プッチはソモサと共にスーパーマーケットに侵入し、警備員に発砲して負傷させた。
1971年11月17日
プッチとソモサは車の販売代理店に押し入り、従業員を射殺する。
1971年11月24日
プッチとソモサは別の車のディーラーに侵入し、従業員のマルティネスを脅し、金庫の鍵を奪って100万アルゼンチンペソ (約680万円) を強奪した。その後、プッチはマルティネスの頭を撃って射殺し、逃走した。
1972年2月1日
プッチとソモサはハードウェアストアに向かうと、警備員を殺害し、店の中に侵入する。そして、強盗のどさくさの中、プッチはソモサを撃って射殺する。プッチは殺害したソモサの胸を裂き、顔を殴打して火を点けて燃やした。その後、プッチは商品を盗んで逃走した。
1972年2月4日
プッチが逮捕される。
カルロス・プッチはその後どうなった?現在の姿がこちら!
現在の写真がこちら!
若いころのイケメンの姿とはだいぶ変わってしまいましたね。
若いころの画像と横並びで比べたのがこちらです。
現在の生活ですが、カルロス・プッチは1980年に裁判で終身刑の判決を下され、今でも刑務所の中にいるようです。2008年に仮釈放の申請を行いましたが、申請が認められることはありませんでした。
カルロス・プッチの家族は?
カルロス・プッチの結婚や子供の情報は出てきませんでした。
20歳で逮捕されているため、結婚はしていないものと思われます。
今回はアルゼンチン史上最悪の殺人鬼として知られているカルロス・エドゥアルド・ロブレド・プッチについて調査しまとめてみました。
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